夕焼けの似合う乗り物・・

実は路面電車とか箱電車・・酷く好きだったりする。

大学時代東京で最後残された都電荒川線に良く乗って

何の目的もなくふらふらと散策しまくった時期があるからか。


不思議と・・まあ三丁目の夕日などと言う漫画誕生の前から

此の荒川線には夕陽が似合う・・そんな風に個人的に思ってた。

何せ終点か始発の三ノ輪橋あたりは場所でいえば日暮里界隈

日暮里、日暮れ里ってえくらいだもの・・

さぞや昔は夕陽の綺麗な鄙じみた場所だったのかもな。

そういえば日暮里の駅のとこから出てる都バス・・

其の停留所で見た夕陽も30年以上前だが妙に綺麗だったような。

東京と言う都会の割には妙に田舎の郊外駅みたいな風情で

田舎者の小生には何となく楽な雰囲気の都会の一角だった。


あと、都電がらみだと何故か大塚・・山手線の下に在った停留所。

山手線の大塚はどっちかと言えば地味な、用のない限り行かぬ駅だったが

お気に入りの場所だった雑司ヶ谷の鬼子母神へ行くのに

貧乏アパートの在った新庚申塚あたりから乗る都電荒川線だと

結構大きな、乗降者の多い停留所で時に途中下車したりしたなあ。




出来たばかりの本格珈琲売りものな喫茶店で呑んだ水出しのモカ。

学生にはちょいと切ない値段だったが妙に嵌ったっけ・・

今も在るんだろうか、商売っ気の少なそうな夫婦が笑顔で営んでた純喫茶。


ああ、往時の、30余年前の昭和後期真っ盛りな東京は・・

まだバブルも始まらぬ不況のなかでは在ったけれど

貧乏学生には妙に優しく、何処か雑駁だが暖かいとこも在った。




もう一度あの日々に戻れるものなら・・と、時に思う。

間もなく元号さえ変わらなくなりそうな此の国の陋巷・・

やっぱり昭和はバブル前までがノスタルジアの対象かあ。


やっぱ昭和は夕陽が、何処か貧乏くささと切なさが似合うんだよな。


のすたる爺の日々余命日記(笑)

日本海岸に生息する 壊れ物の莫迦親父が 気まぐれに綴る雑文と絵・・ 微妙に追憶要素過多。 かつ危険度も高い可能性大(笑) 絵柄も文章も微妙にロリィというか 低年齢好みと若干ちびデブ好きが 図らずも滲みだすのは 本人の業が深いから・・ だ、と自覚中(爆)

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